丹波川の砂金  その2

・ 承前
 多摩川上流の丹波川は、渓魚を求めてやまない首都圏の釣り人にはよく知られた釣 り場だが、そのゆるい流水の中で、鉱物学の権威として知られる松原聰博士が砂金採 集用の皿を回してみせてくれた。まずは軽い土砂が押し流され、やがて皿の底に比重 の重い砂鉄だけが小さな弧を描いて残った。そしてその後端部に、陽光を受けてキラ リと光る金色の粒が。
 「ほら、これが砂金です」
 松原博士の手元を覗き込んでいた10人の目が一斉に丸くなった。
 まさか一回目から砂金が取れるとは……。誰もがそんな驚きの表情を隠せない。
 取れた砂金の大きさは粗挽きの胡椒ほどだが、それはまぎれもなく金であって、 ルーペで拡大すると、さらに美しく輝いて見えた。かつてカリフォルニアで発見され た金鉱に25万人もの老若男女が押し寄せ、2百兆円もの金が採掘されたアメリカの大 ゴールドラッシュ。その熱気たるや凄まじいものがあったというが、いまやそんな雰 囲気がいくぶんなりとも理解できるような気がしてきた。

・ 自らの手で
 「皆さんもこの要領でやってみてください」
 松原博士の声にしたがって、いよいよ私たちの砂金取りがはじまった。
 スポニチOBの若林さん夫妻、小菅村漁協の舩木さん夫妻、そして私と家内がペア を組んで思い思いの場所に腰を据える。
 上野原消防署の嶋崎さん、そして舩木さんの次男、大地君の二人が、川岸に繁茂す る草を抜いて運んできてくれる。
 草の根が抱いていた土を篩(ふるい)にかけて皿の中に細かい土砂だけを残し、そ れをゆるい流れの中に傾けて回していく。パンニングというテクニックだが、なかな か滑らかに事は運ばない。松原博士はいとも簡単に皿を回していたのだが、テンカラ のキャスティングと同じように、やはりそれにもコツがある。
 ともあれ、まずは回した皿からごく軽い雲母(マイカ)の小片などが漂う ように流れ出していく。水中で金色に輝いて見えるので、よく砂金と間違われるのだ が、カリウムを主成分とする珪酸塩の仲間で金とはまったく別の鉱物だ。ちなみに白 い雲母は俗に「千枚はがし」と呼ばれているが、それには断熱と絶縁効果があるの で、電気の絶縁体や耐熱保温材として使われている。
 次に小砂利や砂が流れ出し、皿の底に黒光りした砂鉄が残る。その末尾に目を懲ら してみると……ごくごく小さな粒だが金色の物体が。
 「砂金です」
 松原博士からお墨付きをもらい、人差し指の先にくっつけて水を張った小瓶の中に 落とし込む。比重19・3、純度約20カラット。記念すべき砂金標本の第1号であ る。
 「採れました」
 隣に居た舩木夫人の声に促されてその手元の皿を覗き込むと、ざっと数えて10粒ほ どの砂金が筋を描いて光っていた。
 「おお、これはたくさん採れましたね。間違いなく砂金です」
 舩木夫人も松原博士からお墨付きをもらって実に嬉しそうであった。
 若林夫人にも成果があって、手にした小瓶の中に砂金の粒が鎮座していた。
 それはそうと、共に喜んで然るべき旦那方の姿がさっきから見えない。もしや、と 思って川の上流を見やると、やはり懸命に竿を振る二人の姿が。釣りにすこぶる ビョーキの二人にとっては、丹波川の砂金も「猫に小判」であって、やはりヤマメや イワナのほうがいいらしい。ただしこちらのほうは、とんと成果なしで、砂金プラス 魚という「一石二鳥」は叶わなかったようだ。
 それにしても、松原博士の慧眼おそるべしである。戦国時代に廃坑となった黒川金 山の位置を地形図で睨み、ここと目安を付けた地点から一発で砂金を見付け出してし まう。鉱物学の権威ならではの眼力であろうか。

・ 一攫千金
 今回採れた砂金はごく小粒のものばかりだが、有数な金の産出国ではナゲットと いって、30キロ近い砂金塊も出るというのだからたまげてしまう。オーストラリアで は、定年後の夫婦がキャンピングカーを購入し、趣味と実益を兼ねてナゲット探しに 出掛けて行くといったケースもあるようだ。
 松原博士から見せていただいた『オーストラリアン・ジェム&トレジャーハン ター』という雑誌の1980年11号にその種の記事が出ている。
 コバックという老夫婦が、ビクトリア州内の、かつては金の鉱区だった地表近くか ら一抱えもある金のナゲットを見付けて掘出した。寸法が47×20×9センチ、重 量たるや27・2キログラムもあったというのだから、いかに巨大な砂金塊だったかよ く分かる。
 後にそれをアメリカの博物館が億を越える金額で落札したので、コバッ ク夫妻はたちまち大金持ちになったという話だ。
 地金としての金の価格は24カラット(純金)で今日現在だと1212円。ナゲット の純度を20カラットとして計算すると、1グラムの単価が1006円ということにな る。掛ける27・2キログラムだから、そのナゲットの地金としての価値は2千7百3 十6万円ほどにしかならない。なのにどうして億を越える値が付いたかというと、つ まりは希少価値である。
 そんな巨大な金のナゲットが、なぜ鉱区の操業当時は見つからなかったかという と、ちょうどそこが鉱区の接点に当たる微妙な場所なので、どちらの鉱区の人間も手 を入れなかったということらしい。ともあれ一攫千金の最たる例ではなかろうか。

・ 日本の例
 金にまつわる一攫千金の話は日本にも例がある。誰から聞いた話かは忘れてしまっ たが、およそ次のようなストーリーだ。
 明治時代の北海道で道路作りにたづさわっていた人夫が、仕事帰りの暗い山道で足 を踏み外して谷底に落下、そのまま気絶してしまった。不幸にも行列の最後尾を歩い ていたので、その事故に誰も気付くことなく結局は取り残されてしまう。
 翌朝、我に帰って自らの事故を知るのだが、幸いにしてそう高くない位置からの落 下なので大した怪我もない。そしてあたりを見回すと、誰の目にもそれと分かる金鉱 脈の露頭(濃集部)があって朝日に輝いている。
 そこで鉱区の申請を出して大金持ちになったという話なのだが、事故に遇った「お 陰」で労せずして大金を掴んだという「禍を転じて福となす」ということわざを地で 行く一攫千金話である。

・ 満足感
 で、丹波川において私たちが採集した金の価格はというと、全員のものを合わせて も1グラムにも遠く及ばない。したがって、とても一攫千金というわけにはいかな い。ただし、自らの手で大地から砂金の標本を掘り出したという満足感には計り知れ ないものがある。鉱物採集ならではの快感である。
 さて、2時間ほどで丹波川の砂金採集を終えた一行は、小さな峠を越えて午後の小 菅川に向かった。むろんC&R区間の渓魚が目的である。
 その結果はというと、
 「砂金を得るよりも、釣果を得るほうがよほど難しいかもしれない」
 それが、フライフィッシャーの松原博士を含めた全員の感想であった。



初出『ハローフィッシング』(週刊テレビ)

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