特大の一瞬
〜HPを飾った岩手の大ヤマメ〜

・HPを飾る写真を
ホームページのオープンに先立ち、その一齣を飾るに相応しい魚の写真がぜひとも欲しいと私は考えていました。それも過去の写真ではなく、できるだけホットなごく最近の一枚を。  9月10日から3日間の予定で出掛けることになっていた今シーズン最後の東北釣行は、それには願ってもないチャンスでした。  東北地方は渓流釣りのメッカです。それだけに大物のヤマメやイワナと出会えるチャンスが期待できます。そんなわけで、 「尺を越えるヤマメかイワナの写真をとにかく1枚」  それだけを目標に掲げ、ひそかに闘志を燃やしつつ、車首を北へと向けた今回の釣り旅でした。

illustrated by Takuji Kawakita      

・朝のプロローグ
予定どおり東北道へ入ってから夜明けを迎え、まずは順調な滑り出しです。星が消え去ろうとしている黎明の空も、これからの快晴を告げて鮮やかな澄み色を見せています。

 午前7時盛岡着。ファーストフードの店で朝食をたっぷり摂って谷へ車首を向け、途中で漁券を買って胸に留めれば用意は万全です。踏み跡を覆う露葉にウエーダーを濡らして斜面を下り、短時間のうちに目的の谷へ降り立ちました。そんな至便な場所であっても大物が期待できるのですから、まだまだ東北の谷は豊穣なのです。

 徒渉した流れの水嵩はいつもより太く、昨日あたりかなりの降雨があったことを忍ばせます。そうなりますと、おそらく落ち込みが続くエリアは白泡が勝って釣りにならず、穏やかな淵や瀬だけが今日の勝負所だろうと思われます。そこで、林の中を1キロばかり下った所にある長い深瀬から始めてみることにしました。途中かいま見ることができた幾つかの落ち込みは、案の定、白泡ばかりで毛バリを振り込む隙がありません。  瀬の対岸、庇のように枝が繁る瀬脇へ向けて毛バリを飛ばしました。サイズは12番、トビケラを模したドライタイプの自信作です。それは思いどおりに飛んで庇状の枝と水面の狭間へと向い、緩やかに対岸を洗う流れに着水して浮き、そのまま下流へ運ばれていきます。

 いつ魚が出てもいいようにと、最初から用意を整えて握ったはずのグリップですが、さらにじわりと力がこもります。毛バリもいい感じに浮いてゆっくりと流れていきます。がしかし、水面のどこにも変化が見られないまま、ついには毛バリが瀬尻を越えてしまいました。魚が居さえすれば一発、そう目論んだポイントだけに少々がっかりです。気を取り直して2投目、そして3投目、そのどれにも水面は黙したままで、何の変化も見られません。毛バリを「逆さ花笠」の12番に付け替えて深度を色々と変え、沈めて流すこともしてみましたが、やはり結果は同じでした。

 そんな不戦敗が午前中ずっと続き、どこもかしこも沈黙。期待はとうとう午後へ持ち越しとなってしまいました。とうに高く昇った陽に照らされた水面はぎらぎらと光り、魚の出を誘う水棲昆虫の羽化も全く見当 たりません。

・昼の舞台
 谷から上がって近くのドライブインで昼食を済ませ、ゆっくりと身体を休めた私は、迷わず同じ谷まで戻って竿を構えました。今度の狙いは過去に実績の高かった深淵ですが、相変わらず陽は高く、温度もさらに上昇しています。そのせいでしょうか、目差す淵を覗きこんでも魚の気配がとんと伝わってきません。過去の実績から推しても、そのどこかには、必ずや大物が潜んでいるはずなのですが。

「やっぱり勝負はカゲロウが羽化する夕マヅメか」

 淵のそこここに毛バリを飛ばしてみた私はそう断を下しました。そうとなれば後は持久戦あるのみです。腰を据えて時合(じあい)を待つしか打つ手はありません。淵を臨む位置に手ごろな石を見付けて腰をおろし、一擲(いってき)の勝負に備えてハリスと毛バリを新品に付け替えておくことにしました。3.5mの竿にライン4.5m、ハリスは0.8号を2m、毛バリはドライタイプの「孔雀胴・トビケラ」12番という道具立てです。

 竿を脇に置き、淵の水面を見つめているうちに、どうやら私は居眠りをしてしまったようです。陽射しはとうに陰り、次第に暮色が深まっていくのが、ひんやりとしてきた谷の大気からも感じ取れます。しかし、淵は相変わらず沈黙したままで、そよぐ影すらありません。それから数十分、私はまんじりともせずに水面を見つめ続けました。さらに暮色が深まっていきます。

・夕暮れのエピローグ
 谷に靄がたなびき始めた夕暮れ、正確には5時30分ですが、ついに淵の表面に変化が現れました。それは確かに羽化し出したカゲロウを追った魚のライズであって、見違えようがないほど大きな波紋が流れ込み脇に広がっています。その数、ひとつ・・ふたつ・・みっつ・・。

 波紋を立てる3尾の行動は見るからに活発で、待つほどのこともなくライズの繰り返しが頻繁になっていきます。明らかに盛んな食欲を指し示す行動です。目線を水面に据えたまま、脇に置いてあった竿を引き寄せた私は、ゆっくりと立ち上がって淵に向かいました。待ちに待った時合の到来、いよいよ勝負の刻限です。
 流れ込み脇に定まった3箇所のライズのうち、流下する餌料が最初に到達する箇所、すなわち優位な魚が定位するスポットですが、そのライズを真っ先に狙うことにしました。優位な魚、つまり3尾のうち最も大型の魚が出るとしたらそこ、と踏んでの結論です。

 手前が広い淀みなので、スタンスを取れる位置はライズの左斜め上流。そこで、目立たないように片膝をついて竿を構え、ゆったりとラインが舞うように毛バリを振り込みました。流れ込みを跨いで飛ばした毛バリは、目論みどおりライズの上手1mの位置へ着水し、ポッカリと浮いて流下していきます。やがてそれは繰り返しライズのあった一点へ。もこっと水面が盛り上がって魚が毛バリを襲いました。ライズ狙いではよくあることですが、まさに一発必中です。

 小さく竿を煽って合わせた途端かなりな重量が乗り、一瞬ですが魚が水面で静止した様子が見てとれます。竿を小さく煽ったくらいでは、微動だにしないほど重量のある魚体、というそれは証しです。一瞬静止の後、今度は流芯の真下に潜ろうとする行動に出ました。その動きにつれて、ハリスが一気に水中深く引きこまれていきます。竿は立てたままですから、引きこまれた分だけ大きく撓み、弧が一段と深くなっていきます。魚の激しい動きが腕から肩へと伝わり、胸の筋肉にまで達したのが感じられます。

 立ちあがった私は後退しながら竿を身体に引きつけ、様子を見るつもりでじわりと魚を寄せてみました。暴れながらも、魚はそれに従って寄ってきます。これならハリス切れの心配はないと判断した私は、さらに後退の歩幅を広げて流芯から魚を引き剥がし、手前の淀みまで半ば強引に寄せてしまいました。
 右手を突き上げて竿を高く掲げ、ラインを張って徐々に魚を浮かしていきます。幅の広い魚体に、鮮やかなパーマークが見えたのはまさにその時でした。

「おい、ヤマメじゃないか」

 その淵で過去に釣れた魚のほとんどがイワナだったものですから、今回もてっきりそうだとばかり思っていたのですが、以外や以外ヤマメとは。引きの強さもそれで納得です。ハリスを左手で掴んで足元に寄せ、ようやくネットに納めたヤマメは鼻の曲がった精悍なオスでした。全長36cm。ぜひともホームページの写真に欲しかった念願の尺上です。『渓愚の世界』の一齣を飾ってもらうために、手早くシャッターを切ってからリリースしたヤマメは、一瞬の閃きだけをその場に残し、あっけないほどの素早さで淵の底へと戻っていきました。

 それはしかし、末永く脳裏に留めておきたい、記念すべき特大の一瞬でした。
 

(初出誌:週刊テレビ『Hello FISHNG』No.63)
 

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