むかしばなし
二人目の山姥

- 昔のこと。
旅の男が雨と霧にまかれて道に迷い、山奥をさまよううちに、粗末な小屋を見つけた。
今にも森にうもれてしまいそうな朽ちかけた山小屋だったが、ともかくも明りは灯り、煙も出ている。男は幸いとばかりに戸口を叩いた。
「ごめん…」呼びかけにこたえて戸を開けたのは、小柄な、腰の曲がった老婆だった。老婆は男を見るなり、顔中をしわくちゃにして笑みを浮かべた。
「こんな雨の中、よく来なさった。泊まっていくがいい。」
何も言わないうちから、老婆は男を招き入れた。
男は礼を言ったが、何となく落ち着かなかった。
何も尋ねられないのも妙な気がしたし、粗末な小屋の中には、他に人の暮らしている気配もなかった。
男がいろりの前で冷えた体を温めていると、老婆が器に飯を盛り、碗に汁をそそいで、男の前に差し出した。
「さあ、腹が減っておろう。」
その食器は祭の時に使うような、朱塗りに金の模様をあしらったものだった。
「これは、祝の膳ではないのか?」男は尋ねた。
「そうじゃ、今日は祝いの日じゃ。」
「何の祝いなんだ?」
「おまえさんがここへ来た祝いじゃ。」
妙な雰囲気だった。
老婆はいろりの向こうから、ニコニコして男の顔をながめている。
男の頭に、ふもとで聞いた話しが思い浮かんだ。
五、六年ほど前まで、このあたりの山に山姥が住んでいたという。
山姥は、たびたび人里に降りては子供をさらい、子供を取り返しに何人もの母親が山に入ったが、誰ひとりとして帰ることはなく、山狩りをした里の人々が見つけたのは、母子のものらしき骨のかけらだけ…。
男は老婆に尋ねた。
「ばあさん、どうしてこんな山奥で暮らしてるんだ?」
「おまえさんのような旅人が、よく迷い込んでくるからじゃ。」
男は不安になった。
話に聞いた山姥は、獣のように身体が大きく、目は輝き、口は耳もとまで裂け、ぞろりと牙が生えているという。目の前の老婆にはそういう特徴は無い。
だが、ここは、早く立ち去ったほうが無難な気がした。
「ばあさん、せっかくだが…」
男は、老婆から目を離さないようにしながら腰をあげ、ゆっくりと戸口へ向かった。「わしはこれで失礼する。」
老婆は男の様子に大きく目を見張り、ぽろぽろと涙をこぼした。
「そうか…わしを山姥と思ったか。」
老婆はしきりに袖で顔をぬぐいながら言った。
「わしは、誓いを立てているのじゃ。道に迷った旅人を、百人お救いするという誓いじゃ。今日はようやくわしの願がかなう祝いの日だったんじゃ…」
男は立ち尽して、うなだれる老婆を見つめた。
何か、大きな間違いをしでかした気がした。
老婆はわけあって何かの罪を犯し、世を捨てた人間なのかもしれない。
その罪滅ぼしのために、百人の人間を助けることを神仏に誓ったのではなかろうか…。
男は床に手をついて非礼をわびた。改めて祝いの夜を分かち合わせてもらいたいと申し出た。
老婆は涙をふいて、にっこりとうなずいた。
そしてあくる朝。
男は街道までの道を記した地図と、にぎり飯まで持たせてもらい、何度も何度も頭を下げながら老婆の小屋を後にした。
夜の間に雨はあがり、空は澄み渡っていた。
男を見送ったあと、老婆はひとりで笑みを浮かべた。
そして、いそいそと小屋に戻った。
老婆には、やるべきことがたくさんあった。
小屋の掃除や食事の支度、何より縫みかけの着物を仕上げておきたかった。
男が地図の通りに道を進み、無事、山姥の住む洞窟へたどり着けば、五十年ぶりに息子が帰ってくるのだ!
山姥は、百人の人間と引換に、さらった息子を返してくれると言った。その百人目の人間を、今日、ようやく送ることができたのだ!
老婆は、息子のための着物を取り出して、ほほえみながら針を通した。五十年ぶりに会える息子は、どんなにか立派に成長していることだろうと思いながら…。
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