むかしばなし
観音堂の化け物

- 江戸時代、大久保の一膳飯屋で、酒を飲んでいた客の間から、化け物見物の話が持ち上がった。
きっかけは、近くの観音堂に化け物が出ると誰かが言い出したことだった。
そのうち「わしも聞いたことがある」と、酔客の間で話が膨らみ、それならばいっそのこと皆で確かめに行こうという話になったのである。
二十人ほどの酔客は飯屋の主人とともに、ぞろぞろと見物に出かけた。
観音堂がある林は夜ともなれば寂しく、いかにも化け物が出そうなところ、しかし二十人もいれば恐さも薄らぐというものである。
酔客は朽ちかけたお堂にどやどやと上がりこみ、てんでに堤灯であたりを照らし始めた。
堤灯の明りの先に、背を向けてしゃがみこむ、若い女の姿があった。
最初にそれに気付いたのは、青木という浪人である。
青木は、飲み仲間にこんな女子はいただろうかと不振がって声をかけた。「気分でも悪いのか?」
「いいえ…」女はゆっくりと顔をあげた。青木の悲鳴に、酔い客たちは一斉に振り返った。
そこには、へたりこむ青木と、目鼻のない女の姿があった。
「出たあ!」
お堂の中は悲鳴でいっぱいになり、みな我れ先に出口に押し寄せた。
「青木殿、逃げなされ!」飯屋の主人が血相を変えて青木を呼んだ。
「馬鹿者、わしは平気だ!」青木は、身をのけぞらせながら答えた。
本当言うと一目散に逃げ出したかったのだが、腰が抜けていたのである。
しかし、浪人とは言え武士のはしくれ、町人ども相手にそんなこと言えたものではない。
青木は精一杯の虚勢を張って答えた。
「いいから行け、わしは化け物をじっくり観察する!」
飯屋の主人はうなずくと、さっさと逃げ出した。
青木は化け物とともに観音堂に取り残され、散々驚かされることになった。
ひやりとした手で身体中をなでられ、つるりとした顔を押しつけられ、耳元ではやけに早口の言葉を囁かれる。
腰が抜けたまま逃げ出そうとしても、そのたびに足を掴まれる。
青木は念仏を唱えることしかできなかった。
どのくらい時間が経った頃だろうか…気が付くと、青木は放心したようになって床に転がっていた。
いつの間にか化け物の姿も消えており、腰に力も入るようになっている。
お堂の外に出てみると、いくつもの提灯が近付いて来た。
飯屋の客たちが、心配して様子を見にきたのだ。青木はほっと息をついた。
「どうでした、青木殿?」不安そうに尋ねる飯屋の主人に、青木は顔をひきしめた。
「うむ、大したことはなかった…」
「それで化け物は?」
「わしが刀を抜いたら、腰を抜かして逃げていったわ!」
その言葉に一斉に歓声が上がり、青木も高らかに笑い声をあげた。
しかし何かが変だ。
酔客は皆、青木のことを指差してげらげら笑っている。
「ー何がおかしい?」その答えに、人々は一斉に自らの顔を袖でなでた。
見れば、そこに居並ぶのは、口だけの顔で笑う二十人ののっぺらぼうだった。
青木は即座に気絶した。
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