むかしばなし
鬼の酒盛り

昔、 鳥や虫の声も聞こえない不気味な山の中に、巨大な館があった。
館の中では、一蔵という若者が、鬼と酒を酌み交わしていた。
それは、ただの酒盛りではなく、命のかかった呑み比べだった。

「本当に、姉様を返してくれるのだな。」
一蔵が言った。
「おまえがわしに勝てばな。」
一蔵を見下ろし、鬼が答えた。
「だが今まで、わしに勝った人間はいない。みな負けて、酒の肴になった。」
鬼は牙をむき出し、にやにやと笑う。
二人のそばでは、一蔵の姉が悲痛な表情で勝負を見守っていた。

一蔵の姉が鬼にさらわれたのは、 一月ほど前のことだった。
一蔵は、村中で評判の与太者であった。
姉と二人暮しの彼は真面目な姉のことを大変疎ましく思っていた。
姉がいなければ、好きなだけ大酒を飲むことができるのに…気がねなく博打に興じることができるのに…いつもそんなことを思っていた。
酒のことで姉と喧嘩した晩に、突然鬼が現われ、姉をさらっていったのは、日頃そんなことばかり思っていることへの報いとしか思えなかった。

何十杯目かの盃を呑み干し、一蔵は、鬼に勝てそうな予感を感じていた。
もとより一蔵は、呑み比べでは人に負けたことがなかった。いわゆる、うわばみである。
命がかかっていると思えば、酔いもいっこうにまわらない。
鬼のほうはといえば、さきほどからしまらない薄笑いを浮かべている。
酔いがまわっているしるしだ。
一蔵は、あれほどとがめられた酒で姉を救うことになるのも因果なものだ、と思いながら、さらに盃を進めた。

呑み始めたから一刻が経った。
その頃になると、さすがの一蔵も酒が回り、盃を干すのが苦痛になってきた。
あえぐように息をしながら鬼を見ると、相変わらずの薄笑いを浮かべている。
鬼の薄笑いは、酔っているからではなく、一蔵をいたぶるのを楽しんでいたからであった!
「そろそろ、つまみが欲しくなってきた。」…舌なめずりをして、鬼が言った。
「酒の染み込んだ人間の腹わたなどうまかろうな…。」

「つまみならここにあります。」
姉の言葉に、鬼が振り向いた。
見れば姉はいつのまにか鬼の背後に立っており、片手に鉢をたずさえていた。
「何だ、それは?」
「キノコです。」
鬼はけげんそうに言った。
「まさか、毒キノコではあるまいな。」
その言葉を受けて、姉は自らキノコを口にした。
「もうよい。」鬼は姉の手から鉢を取り上げた…
「わしの分がなくなるだろう!」

鬼はキノコをほおばりながら、次々に盃を空けていった。
一蔵も脂汗を流しながら、必死で鬼についていった。
つまみを食べるような余裕は、とうになかった。
ついでは飲み、ついでは飲み、気の遠くなるような時間がたった。
目はかすみ、身体は震え、もうろうとする意識の中で、一蔵はひたすらに呑み続けた。

そして気が付くと、一蔵は姉に背負われて、山道を降りているところだった。
「わしは、勝ったのか?」かすれた声で聞いた。
失いかけた意識の中で、鬼の唸り声と巨体が倒れ込む轟音を聞いた気がした。
「ええ、勝ったのよ。」姉は答えた。
「鬼には、『ほていしめじ』を食べさせたのよ。」
「え?」
「『ほていしめじ』には、酒を毒に変える力があるの。」
「はあ…」
「おまえに酒をやめさせたくて、私は日頃からいろいろな話を聞いて回っていたの。だから…」

姉は息を荒げ、ふらつくようにしながら、大きな弟の身体を引いていた。
一蔵はそんな姉の姿を見て思った。
この先自分が酒を呑むことは、もう二度とないだろうな、と…。


Back to 鬼