むかしばなし
弘徳庵のとら

- 昔、弘徳庵というという貧乏寺に、とらという名の猫が住んでいた。
- とらは住職に大変かわいがられ、子猫の頃からもう十年以上も飼われたいた。
しかし年々寺は貧乏になる一方で、この頃では、住職は自分の食事を抜いてまでとらに食べさせるようになっていた。
とらは、何とかして住職に恩を返したいと思っていた。
そこで、毎晩屋根の上に昇っては月の精を吸い、妖力をたくわえた。
百二十日ほどそれを続けると、とらは猫股に変化することができた。
とらの考えた恩返し、それは人をとり殺すことであった。
たくさん葬式が出れば、寺も裕福になるだろうと思ったからである。
とらは近くの街道にひそみ、通る人を次々と妖術で襲った。
- しかし、しっぽも満足に分かれていない新米猫股の妖術である。
その力も、せいじが火の玉を飛ばしたり、火とを宙に浮かべたりする程度だ。
驚かしたり怪我をさせるには十分でも、人を殺すことはなかなかできなかった。
それでも、とらはめげずに毎日毎日街道に足を運んでいた。
そんなある日、草むらに隠れているとらのところへ、一人の身なりのいい老婆が通りかかった。老婆は、歩いているのが不思議なくらいの衰えぶりで、今にもぽっくりといってしまいそうである。
とらは、ようやく自分にも殺せる人間が来たと思った。
とらは一声鳴くと、老婆を高く宙に浮かべた。そしてそのまま地面に叩き落としてやろうと、術を解いた。
しかし、老婆は宙に浮いたままである。
不思議に思って眺めているとらのほうを、老婆はじろりとにらみつけた。
おぬしが街道を騒がしている猫股じゃな?
老婆はうなるようにいいながら、見る間に姿を変えていった。
その頭はおそろしげな老猫の顔になり、着物の裾から覗いた尾は、見事に二股に分かれていた。
とらはその迫力に凍ったようになってしまった。
老猫は青白い炎を吐きながら言った。
おぬしのおかげで町中の猫が人間に疑われておる。
- おかげでわしは、月の精を吸うことも、歌を歌うことも、集会で舞うこともままならぬ。
この老猫のささやかな楽しみを奪い、街猫の命をおびやかすのは、一体なにゆえか?
返事次第ではかみ殺してくれよう。
とらはぶるぶると震えながら事情を話した。
話を聞いた老猫は、とらを一喝した。
老猫は二百年以上生きてきていたので、人間に妖力を向けた猫股が必ず不幸になるのを知ってたのである。
それよりなにより、恩返しのために人を殺めようという愚かさをさとしたのであった。
とらはぽろぽろ涙をこぼした。
自分が、住職が決して喜ばない事をしようとしていたのを知ったからだ。
それ以上に、自分の力では恩返しができないことがわかって、くやしくてたまらなかった。
そんなとらの様子を見て、老猫は少しかわいそうに思った。
そこで、一つ知恵を授けた。
とらは話を聞くと、地面に頭をこすり付けて老猫に感謝した。
それから後。
とらのおかげで、弘徳庵は長者の家の菩提寺となり、また住職の法力が知れ渡って、大変栄えることになった。
とらのしたことは、単純なことである。
あちこちの町や村を歩きまわり、葬式をしている長者の家を捜したのだ。
そして術を使って葬式を邪魔したというわけである。
火の玉を飛ばし、棺桶を宙に浮かべ、どんな高僧や修行者の祈祷にも負けずに、ただ一人、弘徳庵の住職が呼ばれて来るまで、何日も何日もひたすらに術をかけ続けた。
怪異を鎮めて帰途についた住職のそばへ、痩せ衰えた姿でとらが現われたのは、恩返しを気付かせるには十分なものであった。
だから弘徳庵には、今でもとらを奉った祠が残っているということである。
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