むかしばなし
町医者とろくろ首

- 昔のこと。
日も暮れて、人もひけた静かな診療所で、追川という町医者が一人の患者と話しをしていた。
患者は若く、美しい娘であり、そして、奇妙な病を抱えていた。
追川はここ一年ほどその患者にかかりきりとなっていた。
「この一年、つらかったことだろう。」追川が言った。
「いいえ…」油皿に灯る明りをうけながら、娘は首を振った。
「わしの力が足りず、一年もかかってしまったが、今日が最後診察になるだろう。」
娘はさびしそうにうつむいている。
「おまえさんにはずいぶん世話になった。」
「それは私のほうです。働くことでしか、先生に診ていただくお礼がでないのです。」
「礼などかまわん…」
一年前、娘は毒を飲んで苦しんでいたところを診療所に運ばれてきた。
娘は「死なせて欲しい」とばかり繰り返し、弱り切った体で必死に看護の手を振り払おうとしていた。
訳を聞けば、三度の結婚と三度の離縁を繰り返し、世をはかなんでのことだという。
その原因を目のあたりにしたときは、さすがに追川も困惑した。
やっとのことで娘に薬を飲ませ、診療所の床につけ、そして深夜にさしかかったころである。
ふと気が付くと、娘の胸元から、白い蒸気のようなものが立ち昇っている。
蒸気はまたたくまに量を増やし、娘の胸から上を完全に覆い隠してしまった。
あっけにとられる追川の前で、さらに不思議なことが起こった。
蒸気の中から、すうっ、と娘の頭が抜け出したのである。
そして音もなく宙をさまよい、滑るように部屋の中を漂い続けた。娘の瞳は閉じられたままであり、糸のように細い首で体とつながっている。
そう長い時間ではなかった。
全ては潮が引くように収まっていき、娘は再び何事もなかったのような、寝顔を現わした。
追川は、不思議な幻でも見せられたようだった。
─私は化け物なのです。死なせてください。
朝日の中、命を救ったことを責めるかのように娘は泣いた。
だが追川には、娘が化け物であるとは思えなかった。
聞けば娘は、人の家に嫁ぐ前、つまり親元にいる間にはこうしたことは起こらなかったという。
その筋の血が混じっているという様子はなかった。
それに追川は、眠っている間だけ起こるというこの手の病気には聞き覚えがあった。
追川は、必ず自分がその病を治してみせると娘を説き伏せ、半ば強引に診療所に通わせることにした。
でなければ娘がまた同じことを繰り返すのは目に見えていた。
それからの一年間、追川は寝食の時間を削るようにして、治療法を探った。
医学書や本草書にはじまり、古今や東西を問わずあらゆる書物に目を通した。
娘も、そうした追川の姿にしだいに心を開き、昼は診療所の手伝いに、夜はともに治療法を探るという生活を送るようになっていった。
「…結論から言えば」
追川の言葉を、娘は緊張したおもむきで待ち構えていた。
「おまえさんは離魂病なのだ。」
「離魂病?」
「影のわずらいともいう。古くから伝えられる、寝ている間に魂が抜け出す病だ。首だけが抜け出すと、これがろくろ首と呼ばれる。要するに、おまえさんは少々魂の寝相が悪いようだな。」
娘はほっとしたように息をついた。
「残念だが、治療法は見つけられなかった。」
娘の顔に緊張が走った。
「しかし解決法はある。」追川は慌てて続けた。
「これは心の病なのだ。心の不安が魂の遊離を引き起こす。おそらく親元を離れて慣れない家に嫁いだのが原因だろう。真に心をあずけられる伴侶を得られれば、必ず治る。わしが前の嫁ぎ先に行って話しをしよう。これは時間が解決してくれる病なのだと。」
追川は優しく語りかけた。
「なに、おまえさんほどの器量良しなら、きっと相手も考え直してくれるだろう…」
娘は黙ってうつむいていた。
そしてしばらくそうしたのち、顔を上げると、強いまなざしを追川に向けた。
「納得ができません。先生は必ず私を治して下さるとおっしゃいました。だから、私は死ぬことを思い留まったのです。私を治してください。」
「しかし…」
とまどう追川に、娘は再びうつむくと、消え入るような声で言った。
「今までどおり、診療所のお手伝いをさせていただくだけでもいいのです。」
追川は、娘の言葉にとまどうばかりだった。
この一年で、娘の身に離魂病が訪れることは確実に少なくなってきていた。
だが、追川はまだその原因には思い至っていなかった。
この町医者が、娘の気持ちに気が付くには、もう少し時間が必要であった。
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